凌統は、変わった。
俺が呉に降った頃の凌統は、最悪だった。会えばいつだって殺気を隠そうともしないぎらついた目で睨んできたし、あからさまな無視もされたし、たまに口利きゃ反発ばかりで、それは酷い有様だった。呂蒙のおっさんに穏便にと言われてたから俺もあいつも堪えたが、おっさんがいなかったらきっとヤバい事になってただろうと思う。
まぁ、それも仕方ない。何せ俺は凌統の親父を討ち取った張本人だ。だからって俺は詫びる気なんかさらさらなかったし、それは今でも変わらない。
敵を倒すのが戦だ。あの時俺は黄祖にいて、凌統の親父は孫呉にいて、敵同士としてぶつかりあった結果だ。
それにたとえ詫びたところできっと凌統の態度は変わらなかっただろう。凌統だって武人だ、きっと頭ではわかってる。だからこそおっさんに言われて堪えられたんだ。
だから俺は別に、ぎすぎすしたままでも構わねぇかと思ってた。
それであいつの気が晴れるなら、それでいいと。
けど最近、凌統は変わった。どっちかといえば、柔軟な方向に。
柔軟と言っても、最初のころに比べればって程度だ。それでも口もきかなかったあのころに比べりゃ格段の進歩だ。
凌統の態度が変わったことで、俺の中の凌統への印象も随分変わった。
最初の頃の凌統は、嫌味でいけすかねぇ野郎。
今の凌統は、嫌味でいけすかねぇけど面白い奴。
俺にとってもこれは、格段の進歩だ。
夢の続きを見せてくれ
ぼんやりとそんな事を考えながら、いい昼寝場所を探しに廊下をうろつく。
修練場の脇を通り過ぎた時、呟くような声を聞いた。
「凌将軍って、いいよなぁ・・・」
調度凌統の事を考えてた時に、なんだってんだ。
気になって声のする方を見れば、修練場の隅に兵士が数人佇んでいる。
そいつらの目線を追うと、凌統が兵士たちに稽古をつけてやっている所だった。
何が『いい』のか興味をそそられ、耳を欹てる。近づこうかとも思ったが、鈴の音で気取られてしまいそうだったからやめた。
「わかる。俺らみたいな一般兵にもお優しいよな」
「おつかれさん、って言ってもらえると一日の疲れが吹っ飛ぶよ」
「武術の教え方も上手いしな」
「この間いい鍛冶屋紹介してもらったんだ。将軍が口利いてくれてさ、あの時は本当に助かったよ」
優しい?嘘だろ。でもあいつ、俺以外にはそこまで皮肉を言わないような。
考える俺を余所に、兵士たちの話は続く。それも、おかしな方向に。
「あの声もいいんだよな、涼やかなのにこう、色気があるというか」
「声もいいけどあの目も、な・・・」
「あと泣き黒子がたまんねぇ」
「俺はふと見せるあの笑顔がかわいくて、もう」
「でも、怒ってても素敵だよな」
「一度でいいからお相手頂きたいぜ」
「そりゃあ無理な話だってわかっちゃいるけどな・・・」
「俺、死ぬなら凌将軍に踏み殺されたい」
「お前、それは行きすぎだろ」
「けど俺も、どうせ死ぬなら張遼に切り殺されるんじゃなく、凌将軍に踏まれたい・・・」
うわなんだこいつら気持ち悪ぃ。つうかあの声ってどの声だ、あの目ってどの目だ、あの笑顔ってどの笑顔だ。俺に見せる顔といえば嫌そうな顰め面か馬鹿にしたような笑顔で、口をついて出るのは皮肉と小言と文句の嵐で、そう、思い起こせる全てが刺々しい。とてもじゃないが、懸想の対象にはならないような。
「実は俺、時々凌将軍が夢に出るんだ。寝る前、時々お世話になってるからなぁ」
「俺も・・・」
「おい、俺もだよ」
「俺なんかつい昨日だぜ、夢に出たの」
「ははは。どんな夢だったんだよ」
「そりゃ、ここじゃ言えねぇよ」
「まぁそりゃそうだよな」
俺の夢に凌統が出てきた事はないが、もし出てきたとしても嵐のような文句を言ってのける様しか思い浮かばない。「ここじゃ言えない」ようなことをしでかす凌統が想像できるそいつらの頭に何故か苛立ちを覚え、一歩前へと踏み出した。斜掛けしてる鈴がしゃらんと鳴って、兵たちは慌てて振りかえる。
「か、甘将軍!」
「おう。なあお前ら、」
「す、すみません!すみません!失礼します!」
兵たちは慌てふためいた様子で立ち去って行った。蜘蛛の子を散らす勢いとはまさにこの事だ。
何も逃げる事はないのに。まぁ正直、一発くらい殴ってやろうかとは思ってたけどな。
どんな夢だったんだろうか。色っぽいだのなんだのと言ってた奴らだから、やっぱりそういう夢なんだろうか。
なんとなく稽古中の凌統を見ると、ばっちり視線が合った。どうやら俺に気付いてたらしい、手を休めて小憎たらしい顔でこっちを睨んでいる。
「よう、バ甘寧。白昼堂々サボりか?」
「おお、まあな」
「まぁなって平然としてんじゃないっつの。軍師殿が怒ってんじゃないの?」
「こーんな天気のいい日にあんなちまちましためんどくせぇ事やってられっか」
「あのねぇ・・・ったく、これだから単細胞の猪男は」
「おーおーなんとでも言えや」
普段だったらなんだとてめぇと喧嘩になる頃合いだが、今の俺は凌統の顔を観察するのに忙しい。
間近まで歩み寄りじろじろと眺めていたら、凌統がものすごくものすごく嫌そうな顔をして言った。
「何だよ。じろじろ見やがって」
「まぁ言われてみりゃ、女みてぇな顔はしてるか?」
「はぁ?あんた喧嘩売りに来たのかい?一体何の話」
「コッチの話だ。まあそのへんの野郎よりはアリかも知んねえが」
「?コッチとかアリとか意味わかんないっつの」
「ああ、泣き黒子はいいかもな」
「・・・なるほどね。喧嘩売ってんだ?よし買った」
言うや否や飛んできたのは鋭い蹴り。石の壁をえぐり敵兵の頭蓋骨をかち割るその蹴りを間一髪避けながら、盗み見た凌統は薄い笑みを浮かべていた。
この顔がどうやったらそっち方面に向かうんだ。あの兵たちはやっぱり頭がおかしいんだ。そう結論付けた俺の顔の脇を、背後からなにかが掠めた。眼前の凌統の顔が真っ青になっている。がばりと振り返れば陸遜が、爽やかな笑顔で実戦用の弓を構えていた。
「おかしいですねぇ、どうして甘寧殿はこんな所にいるのでしょう」
「り、陸遜」
「私は確かあなたに滞っていた執務をお願いしたはずなんです。それも、書面を読んで判子を押すだけの簡単なものですよ?今までお逃げになっていた分少々量がありましたが、朝から真面目に取り組めば昼前には終わる程度の量でしたよね?今までさんざん溜めこんでおられたのだから、きっと今日は頑張ってやってらっしゃるだろうと思って様子を伺いに行けば、執務室はもぬけの殻。まさかもうお済みになったのかと机を覗けば、一枚も、そう一枚も進んでおられませんでしたね?」
そう一息に言い放った陸遜は、爽やかな笑みを浮かべたまま構えていた矢を放った。がつと鈍い音を立てて修練場の柱に突き刺さった矢を見て、すぐ傍にいた兵士が腰を抜かす。
「陸遜、それは味方に向けて放っていいやつじゃねぇぞ!」
「甘寧殿は少し痛い目にあえば良いのです。あ、折角ですから火矢を用意させましょうか」
「り、陸遜。ここじゃ死人が出るから!こいつをシメたいなら余所でやってくれると、助かるんだけど」
「てめぇ、俺を売んのか!」
「あんたを庇う気なんざこれっぽっちもないんだよ!とっとと行っちまえ、バ甘寧!」
凌統が陸遜めがけて俺の背を蹴り、見事につんのめった俺にどこから出てきたのか陸遜の取り巻きが縄をかける。
そのまま俺は罪人のように、縄を引かれて執務室へと連行された。
「窓の外と扉の前にそれぞれ見張りが立っていますから、逃げ出そうとしてもそうはいきませんよ」
「わぁったよ。やりゃいいんだろ、やりゃあ」
「逃げたら、そうですねぇ・・・何をして頂こうかな。考えておきますね?」
「お前、性格悪ぃよな」
「お褒めに預かり光栄です。では頑張ってくださいね、後で様子を伺いに参りますので」
最後にとびきりの笑顔を見せて、陸遜は立ち去った。
「仕方ねぇ、やるか・・・」
真面目に机に向かうこと数刻で、無情にも眠気がどっと押し寄せてくる。
少し抵抗してみたけど、無駄だった。ごつ、と自分の頭が机にぶつかる音が聞こえて、俺は眠りに落ちた。
***
「・・・い、甘寧」
ぺちぺち、頬を叩く感触がする。
「起きろ、甘寧!」
ぺちぺちはがつがつに変わり、更にどかどかに変わっていった。痛い。
「んだよ、うるせぇなぁ!」
がばりと身を起こすと、眼の前には拳を振り上げた格好の凌統が。
俺が起きたと見るや、呆れたような顔をして振り上げていた拳を下ろした。
「ったく、寝過ぎだっつの」
「お?おお・・・」
あれ、俺いつの間に寝台に移動した?つうか何故こいつは俺に馬乗りになってるんだ。
さっきの延長で寝込みをボコりに来たのだろうか。そうだったら、この状況はまずい。まずいぞ。
軽く焦った俺が体勢を変えようとするより先に、凌統が動いた。
「なぁ、甘寧」
なんと奴は、猫撫で声を出して擦り寄ってきやがったのだ。
抱きつくように首に回された腕からふわりと良い香りが立ち昇る。男のそれとも女のそれとも違う、不思議な甘い香りだった。
「オイどうした、変なもんでも食ったのか」
「食ってないよ」
「じゃあ熱でもあんのか。それとも、何か企んでんのか?あ、陸遜の差し金か!」
「ははは、さぁね?」
そう言って凌統は微笑んだ。今まで見た事のない笑顔だった。それがあまりにも煽情的に見えて、そんな自分に愕然としながら、男の本能が揺れたのをはっきりと感じる。
「なぁ、溜まってんじゃない?コレ、」
つーっと指でなぞられて、形付くソレは握り込まれる。
凌統は薄い唇を開いて、勃ってんじゃんと笑った。ちろりと赤い舌が覗く。その舌はそろりと這い出て、俺の下唇を舐める。
俺は本能には逆らわない性質だ。だから、舌を絡め取ったのはほぼ反射的な行動だった。
唇を重ねて舌を擦り合わせると、ン、と鼻にかかった吐息が聞こえた。それがこれまた、下半身を直撃する。
「大きくなった・・・」
潤んだ垂れ目も、囁くような声も、蠱惑的な笑みも、こうなった今は泣き黒子ですら、全部が全部狙ってるとしか思えない。
今まで抱いてきたどんな女より、それを生業にしてる妓楼の妓より、ずっとずっと、そそる。
「かんね、」
体勢をひっくり返して、凌統を寝台に押し倒す。
さぁ据え膳を食おうかと赤い胴衣の前を肌蹴た所で、後頭部に鈍痛が走った。
途端に組み敷いていたはずの凌統の姿が消える。あれ?と思った所でもう一発。ごすん、と重たい音と衝撃で、俺は自分が机に突っ伏して眠っていた事を知った。
「あ?」
「あ?じゃねぇよこの馬鹿!あんた陸遜に殺されるぜ?」
「凌統?んだよ、夢って事かよ・・・」
「陸遜に頼まれて様子見に来てやれば、夢見るほど熟睡するとか馬鹿かっつの!」
「いてっ」
容赦なく振り下ろされた拳に冷たい視線はいつもの凌統で、どうやら夢の続きは期待できそうにない。
それにしても、まさかあんな夢を見るとは。しかも中途半端。どうせなら最後までやりたかった、ってそうじゃない。
あの兵士たちの会話が脳裏を過ぎる。
あいつらもあんな凌統を夢で見て、懸想するようになったんだろうか。
いや、違うかもな。こいつ、俺以外には結構愛想いいしな。うわ、なんか腹立つ。
「お前よぉ、たまには俺にも笑ってみねぇ?」
「はぁ?いきなり何だい、それ」
「だって、いっつも怒ってばっかじゃねーか。まあ、気持ちはわかるけどよ。けどあいつらには笑いかけて俺には笑いかけないって、なんか腹立つし」
「あいつらって誰だっつの。意味わかんないから」
「ホレ、にこっと」
「アホか。つーかソレ、見たとこ一枚も終わってないみたいだけど」
「そうだった・・・あーもう陸遜の野郎・・・俺ぁこういうちまちました事ぁ大嫌いなんだよ」
「まぁ、火だるまにされないようにせいぜい頑張るこった」
凌統はそう言い放って身を翻す。その途端ふわっと香ったのは、夢の中で嗅いだものと同じで。
そういえばこいつ、いつもこんな匂いがしてた、ような。
脳裏に、あの凌統がちらつく。
自分がごくりと唾を飲み込む音が、やけに大きく聞こえた。
夢の続きはまた今度。
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甘寧、意識編。
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