その日の軍議の終わり、殿が思い出したかのように言った。


「最近宴をしていないな」
「そういやそうですね」
「確かに・・・」


調度近くに居た俺と周泰さんが同意すると、やはりそう思うかと身を乗り出した殿。
それを見ていた陸遜がにこやかに言う。


「今年は『虎殺し』の出来が格別に良いようですよ」
「おおそうか!近頃は戦続きで皆を労う暇もなかったな。よし、皆今夜は宴だ!沢山飲んで日頃の疲れを癒すがよい!」


声高に言い放たれたその一言で、皆がどっと沸き立つ。かくして今日は、数月ぶりの宴が開かれることになった。








孫呉の武将は皆宴好きだ。元来賑やか好きが集まっているような国だから、騒げる上に美味い料理と美味い酒が味わえるとなれば、言うことなしで皆喜ぶ。ただ一つの気掛かりを除いては。
その気掛かりとは、殿の酒癖だ。
殿は酒好きの癖に酒癖が良くない。誰かに絡んではひたすら飲ませ、潰れたらまた別の誰かに絡む。自分が潰れるまでそれを繰り返すのだ。周泰さんや陸遜や甘寧など、酒に強い面々は平然としているが、そうでない連中は宴を楽しむ半面恐々としながら杯を傾ける。
どちらかといえば『そうでない連中』に該当する俺は、いつもなるべく気配を消すように誰かの間に挟まれて飲むのだが、昨日は運悪く殿に捕まってしまった。

殿が御手すがら注いで下さった酒を残す訳にもいかず、ええいと空にすればまた溢れんばかりに注がれる。
酒豪で知られる先々代の領主、孫堅様が愛したと言われる度数の強い酒に、俺はべらぼうに酔った。
陸遜が殿飲み比べをしましょうと助け舟を出してくれたからなんとか潰れずに済んだけど、そのままだったら間違いなく潰れるまで飲まされただろう。
その後行われた陸遜との飲み比べによって殿が潰れ、酒宴はお開きになった。(陸遜は外見からは想像もつかないが、いくら飲んでも顔色一つ変えない酒豪だ)
暗い夜道を、明かりを下げて歩く。ほてった頬に夜特有の冷たい空気が気持ち良かった。足元は辛うじて確かだ。と思う。
しかし飲んだ。もうしばらく酒はいらないと思えるほど。


「殿にも、困ったもんだっての」


なにげない独り言が出たのは、酔っているからだ。俺は酔うと饒舌になるのだと、陸遜に指摘されたのはいつだったか。
普段口に出さないような取るに足らない事や抑えるべき事のあれこれを、都度口に出してしまうらしい。指摘されるまで気付かなかったが、指摘されてからは成る程これかと思い当たることがある。そんな頭が働いているのだから、まだマシな酔い方なのだろう。同時に、それが抑えられない程度には酔っているという事なのだが。


「今日は星が綺麗だねぇ」


けどまぁ、これは独り言だ。誰に迷惑をかけるでもない、誰に相槌や返答を求めているわけではないのだから別に構わないだろうと、思いつくままを口にする。


「はぁ、しかし酔った」
「オメェにしちゃ珍しく、えれぇ飲んでやがったからな」


独り言に返答があった。しかも、カンに障る奴の声で。
見れば木の幹にもたれ掛かってこちらを見ている男が、俺がつい厭味を言いたくなる男が、いた。
つい嫌そうな顔をしてしまうのは仕方がない。とりあえず和解はしたものの、慣れ合うつもりは毛頭ないのだから。


「あんた、なんでいるんだ」
「オメェを待ってたんだよ」


待ってた、だと。
帰り道に一緒に歩く事がないようにと、わざわざ時間をずらして出てきたのが台なしだ。


「へぇ、そりゃ光栄な事で。そこまであんたに慕われてたとはね」
「茶化すんじゃねぇ。心配してやったんだろうが」
「心配?誰が?誰を?もしあんたが俺をってんなら、余計なお世話だって言っとくよ」
「口が減らねぇな・・・ったくよ。人が折角心配してやったのに」
「あんたに心配される筋合いなんかないんだよ。わかったらとっとと俺の前から消えな」
「てめェ、喧嘩売ってんのか?」
「買いたいんなら売ってやるよ。いくらでもね」
「上等じゃねぇか。あるだけ買うぜ?」


どんな時だって手放さない獲物を構えると、甘寧もにやりと笑って獲物を構えた。途端ぐらりと視界が揺れる。売り言葉に買い言葉とはいえ、ちょっとまずったか。 俺は足元も覚束ない位酔っていて、対する甘寧の足取りはしっかりしている。けどやっぱやめたとか今更言えないし、やるしかない。


ほぼ同時に地面を蹴る。打ち合うこと数度で、情けない事に俺は膝をついた。急に身体を動かした事で酒が一気に回ったらしい。なんだてめぇどうしたよと茶化すような声に皮肉を返す余裕もなく、鱈腹飲んだ酒が齎した眩暈をやり過ごそうと目を閉じた。


「おい凌統」
「ちょっと、黙ってろっての」
「動いて酒が回ったかァ?情けねーな」
「んだと、この」


甘寧が放った「情けねーな」にかっとなって、眩暈を押して立ち上がると、ぐにゃりと歪む視界。天地の感覚がなくなる。あ、まずいと思った瞬間、俺は意識を手放していた。






ちゅんちゅん、小鳥のさえずりが聞こえる。
陽光を瞼に感じ、目を覚ました。途端ずきんと痛んだ頭を咄嗟に左手で抑え、ゆっくりと目を開ける。
完全なる二日酔い。ああもう、最悪だ。盛大に顔を歪めながら身を起こそうとして、ふとした違和感に気付いた。


「どこだ、ここ・・・」


見渡す室内は俺の部屋ではない。自宅とは別に城に宛がわれた執務室兼自室と、良く似ているけど、違う。
きっと城の一角に、俺と同じように宛がわれた誰か別の将の部屋なのだろう。だろう、けど。


「つーか、これって」


少しずつ冴えてきた頭が、積載された大きすぎる問題をひとつひとつ拾い始める。


まず一つ目の問題は、この部屋は誰の部屋だ、って所か。
いやそれより、自分が裸な所か。
そもそもなんで声が擦れてるんだ。腰に巻きついている、この長細い生温かいモノは一体何だ。
いやそれより、背中にぴったりくっついてるモノは、人の肌ように感じられるモノは、ごつごつと固い、男の身体のように感じられるモノは、一体何なんだ。


あまりの事態に脳が処理しきれない。その容量はすぐにいっぱいになり、俺は考える事を放棄する。


誰か人が居る様な気がするのは気のせいだ。そうだ気のせいだ。うっかり金髪が見えたりなんかしてない。腰に巻き付いた物体に龍の鱗が彫り込まれてるように見えるのも、気のせいだ。気のせい。全部、気のせい。
そっと身体をすべらせて地面に降り立つ。このまま服を着て、何事も無かったかのように立ち去ってしまえばいい。頼むから起きないでくれよと心中で背後の物体に祈りながら。
いやまぁ何もなかったから別にいいんだけど、つうか何もいないから全部気のせいだから別にいいんだけど、いやよくないけど、ああもう何が何だかよくわかんねぇっつの!


「なんだ、もう起きたのか」
「!!」


ひっ、と悲鳴のような声を漏らしてしまった。
起きやがった、あの野郎。慌てて床に落ちていた寝巻らしき着物を羽織る。


「あのよ」
「お、俺の服は?」
「あぁ?そのへんにあんじゃねーの」
「そ、そのへんてなんだよ。適当すぎだっつの!」
「ンな事言われても困るぜ・・・」


きょろきょろと床を見渡すと、見慣れた赤の胴衣が部屋の隅に丸まって置かれてあった。慌ててそれを拾い上げ、脱兎のごとくその部屋を(きっと甘寧の部屋だ)飛び出す。
昨日打ち合ってから、一体なにがあったのだろう。なにがどうなったらあの馬鹿と裸で同衾なんてことに、畜生こんなこと考えたくないっつの!


走って走って逃げ込んだ自室で、次から次へと浮かんでくる嫌な想像を頭を振って追い払う。


俺だって立派な成人男子だ。あの状況がなにを表してるかなんて事はわかってる。
酔った勢いでなんて事は今までなかったし、しかもその相手が男。まぁこの二つについては百歩譲って、まかり間違ったら起こりうる事態だとしても、だ。
その男ってのがあのいけすかない甘寧だった。もうその時点で、天地がひっくり返ってもありえない。


ありえない、はずだったのに。


「忘れよう、忘れよう、忘れよう」


そうだ、忘れてしまおう。何もなかった。そうでもなきゃ、平常心を保ってなんかいられない。
水差しの水を一気飲みして大きく息をつくと、少し落ち着けた気がする。
そうとなればさっさと着替えだと勝手に借りてきた寝巻を脱いで、胴衣に袖を通しついでに見下ろした自分の身体には、点々と赤く残る痕がはっきりとあって。


「死にたい・・・」


へたり込む俺をあざ笑うかのように、ずきずきと頭痛が襲う。
嘘だ。こんなの、なにかの間違いだ。
間違いだ。


間違いだ!









とりあえず、甘寧に会ったらブン殴る!




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こういうのは書いててとっても楽しい訳ですね。ええ。