それは、見事な満月の夜だった。









甘寧が酒瓶をぶら下げて、突然俺の屋敷を尋ねてきた。


「よぉ。悪ぃな、突然よ」
「本当に悪いね、こんな時間に。何だよ?」
「見りゃわかんだろ。ちょっくら付き合えや。いい月が出てんだ、月見酒ってのも悪かねぇぞ?」


悪いなんて微塵も思っていない、あっけらかんとした態度に半分呆れながら、俺は首を縦に振った。
何を隠そう俺も、月見酒をしようかと綺麗な満月を眺めていたところだったからだ。


「いいノリじゃねぇか、そうこなくちゃよ!」
「今日は月が綺麗だからね。相手があんたってとこが気に食わないけど、ま、たまには付き合ってやるよ」
「一言余計だぜ、ったく・・・まぁいい、そうとなりゃ庭行くぞ庭。どっから庭に出んだ?」
「まぁ待ちなって。ついでに碁も打ってくかい?この間あんたが碁盤ひっくり返して逃げて、そのまま・・・」
「人が楽しい気分の時に嫌な事思い出させるんじゃねぇよ・・・」
「仕方ないね、お預けにしといてやるよ。酒肴でも作らせるか」
「おっ、気が利くじゃねぇか」


休もうとしていた料理人に詫びながら酒肴を頼み、手早く作ってくれたそれを片手に庭に向かう。
先に庭に行っていた甘寧は、既に手酌で始めていた。


「誘った本人が先に始めるか?普通」
「うっせ、遅ぇんだよ。おぉ、うまそうじゃねぇか」
「うちの料理人は腕が良いんだ。自慢じゃないけどね」
「まあ座れや。つっても俺んちじゃねーけど」
「ははっ、まったくだっつの」


甘寧の向かいに座り、手渡された杯いっぱいに注がれた酒に思わず肩をすくめる。負けじと甘寧の杯にも同じくらい注いでやり、こつんとそれぞれの杯をぶつけ合った。並々と注がれた酒が零れて指を濡らした。


一気に杯をあおって、そのまま空を見上げる。何度見ても見事な月だ。周囲にかかる雲まで美しい形をしている。


「いい月だな、本当」
「だろ?こんだけ綺麗な満月、久々に拝んだぜ。こりゃ飲まずにゃいられねぇってんで、月見酒よ」
「最近月が満ちる時期になると決まって曇ってたからね。けど、なんでわざわざ俺の所に?あんたには可愛い子分達とか綺麗なお姐ちゃんとか、誘う相手はあまたといるでしょうが」
「今日はお前と飲みたい気分だったんだ、悪ぃかよ」
「別に悪かぁないけど。意外でね」


そう、意外だった。甘寧がわざわざ自分のもとを訪れるなんて。
普段俺は甘寧に、憎まれ口を叩いたり本気で掴みかかったりと、大凡好意的とはいえない対応ばかりしている。父の仇という部分はもうとっくに水に流しているのに、なかなか好意的に接する事が出来ずにいて。
だから嫌われることはあっても、酒の相手にと訪ねて来るほど好かれてはいないと、そう思っていた。


「意外ってなんだよ」
「わざわざお越しいただくほど、仲良くしてるつもりなんざなかったからね」
「俺ぁよ、お前の事はかなり気に入ってるぜ?」
「へぇ。そりゃ、光栄な事で」
「・・・意外っつーなら俺も意外だったぜ」
「意外?何が」
「門前払いされると思ってたからな。こんな時間にふざけんなっつの!とか言って」
「ハッ、じゃあ来んなっつの」


俺がそう言うと、甘寧は茶化すんじゃねぇと嫌な顔をした。その顔のまま酒瓶を差し出してきたので、杯でそれを受ける。見れば甘寧の杯も空になっていたので、それを酒で満たしてやってから、もう一度月に目を向けた。


本当に、いい月だ。思わず見惚れてしまうような。


杯いっぱいの酒を、月を見ながら今度はちびちびと口に含む。強い酒精の香りが鼻を突いた。


甘寧がぼそりと何かを言った。彼にしては珍しく小さい声だった。聞き取れなくて、月から甘寧に視線を移すと、これまた珍しく神妙な顔をしていたので、内心不審に思いながらも聞き直す。


「何?」
「お前はどうなんだよ」
「何が」
「何が、じゃねぇよ。俺の事、どう思ってんだ」
「あんたの事?特には・・・なんでいつも半裸なのかな?馬鹿なのかな?とは思ってるけどね」
「だから茶化すんじゃねぇ」
「茶化してないって。なにが聞きたいんだい」
「・・・俺の事、好きか嫌いかっつー・・・まぁ、そういう事だよ」


神妙な表情はそのままに、少し気まずげに、甘寧は言った。
その表情は、常に自信満々、悪びれる事などない『いつもの甘寧』とは掛け離れていて。
そう、言うなれば叱られた犬のようだ。耳と尻尾を垂れ下げてしょぼくれている、飼い犬。
その萎れた様子がおかしくて。つい、吹き出してしまった。


「てめぇ、人が真面目に聞いてんのに笑うな!」
「だって、あんた、その顔・・・!」
「顔ぉ!?顔がおかしいって、お前馬鹿にしてんのか!?」
「あっははは、悪い悪い、っくく、ははは」
「この野郎、もう聞かねぇ!」


怒った様子でぷいとそっぽを向き、杯をあおった甘寧がより一層おかしい。
けどダメだ、これ以上笑ったら、この気の短い男は怒り狂うだろうから。
また噴き出しそうになる自分をなんとか宥め、甘寧に向き直る。


「そういや、言ってなかったね」
「へっ、もう聞かねぇよ」
「あ、そう?あんたの事だったんだけど。じゃあ言わない、ってね」
「・・・まぁ、聞いてやってもいいぜ」
「へぇ?聞かないんじゃないのかよ」
「いいからとっとと言えや」
「ま、嫌いじゃないってとこかな」


笑いをこらえながら俺がそう言ったら、甘寧は変な顔をした。喜んでるみたいな、怒ったみたいな、驚いたみたいな、そのどれとも言えそうで言えない、とにかく変な顔だ。
その顔を見て、とうとう俺は噴き出してしまった。
怒るかと思った甘寧は怒らなかった。そうかよ、と笑ってまた杯をあおった。


何故ここで笑うんだ。
胸がもやもやする。酔ったのだろうか。
そのもやもやが収まらないかと月を見上げる。
金色に光る丸い月は、相も変わらず綺麗な姿を惜しむことなく晒している。その月を見詰めていたら少しずつ心が落ち着いてきた。


「ま、飲みますか」
「おう。飲むか」


もう一度向き直り、並々と酒が注がれた杯をぶつけ合う。
にやりと悪戯っ子のように笑った甘寧につられて俺も笑った。


そのまま言葉少なに、酒を酌み交わした。
二本の酒瓶が空になった時には、空がうっすら白みはじめていた。
あんなに綺麗だった満月もその金色を薄めている。少しだけ勿体ないと感じた。もう少し、見ていたかった。
けれど、朝が来なくては困る。だからこれでいいのだ。綺麗な満月はきっとまた見れるし、甘寧と差しで飲む機会も、きっとまた来るから。


空の酒瓶を二つ下げた甘寧に、軽く手を上げて別れを告げる。


「じゃあな」
「なあ凌統」


そう言って、振り返った甘寧は真顔だった。真正面から見詰められて、その距離の近さに思わず姿勢を正す。


「なんだよ」
「お前、楽しかったか?」
「まぁ、つまらなくはなかったよ」
「へっ、そうかよ。上出来だぜ」


ちりん、と鈴が鳴ったと思ったら、甘寧の顔がすぐ近くにあった。
あ、と思った時には唇がぶつかって、離れる。


「またな!」


そう言って朗らかに笑った男に、さっきの真剣な様子は欠片もない。
それどころか踊り出しそうなほど上機嫌に見える。
小走りに去っていくその後ろ姿がきらきらと、月の色に光っているように見えた。








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アレェ・・・?不完全燃焼ですねぇ・・・?アレェ・・・?